宇智川磨崖碑がある五條市を観光しながら遺跡をまわる考古学サークルなら(2022年6月)

八角円堂 五條市

毎月恒例!考古学サークルならで五條市の遺跡観光

月一恒例の考古学サークル、2ヶ月前は牽牛子塚古墳に行き、先月は雨のため奈良博にいって、大安寺展をみましたが本日は晴天になりました!!2ヶ月ぶりの考古学です!

 

ということで、奈良県五條市にやってまいりました!


ここから少し歩いた五條バスセンターでバスに乗って上今井というバス停で降りて、今井1号古墳に向かいます。

余談ですが、この五条バスセンターからは、あの有名な日本一長い路線バスが出てます。一度でいいからここから三重県の新宮まで行ってみたい!


今井1号墳

今井1号古墳は、前方後円墳で全長が35mくらいの小型の古墳です。周りは田んぼなんですが堀まで含めるともう少し大きい古墳になります。

この五條市には前方後円墳はほぼなくて、有名なところはここだけらしいです。私は入隊する前にはここから少し吉野の方に向かって行ったところにある、近内かんす塚古墳や西山古墳、五条猫塚古墳などに行かれたそうですが、そこは方墳や円墳だそうです。あーーーもっと早くサークルに入っていきたかった!しかも五条猫塚古墳って猫の古墳?すごく気になる!!



ちょっと草が生えてて見えづらいですが、ここが古墳です。草が生えてない秋以降に来るのがいいかもしれないですね。
今井1号墳は出土物などから、5世紀の前半終わりくらいではないかと言われています。

そして、この辺り前方後円墳や、方墳、円墳が少ないのになぜこの場所に作ったのか気になりません?私は気になります。
説明していただいている先生曰く、ここは北に行けば、風の森峠という御所に抜ける道や、北東に抜ける道で重坂峠(へいさかとうげ)というこちらも
御所に抜ける道、また宇野峠という阿田に抜ける道、そして吉野川沿いに下っていくと和歌山に抜ける道と、各方面に向かう道の交差する場所になっており、
とても重要な場所だったため、前方後円墳を作ったのではないかという話でした。
また、今井1号墳からは武器もたくさん出土されたそうで、大事な要所だったことがわかるということです。

今井天神山瓦窯などの窯がたくさん

少し時代は違い6世紀ごろ、南側の斜面には、今井天神山瓦窯、荒木神社裏山窯、今井窯があり、須恵器生産が開始されたそうです。
でも、奈良に窯って少ないんですって。奈良は首都だったのに窯が全然なかったらしく、主に大阪の和泉の方、泉北丘陵に陶邑窯跡群という大規模の窯跡があって、
そこで焼いて奈良に運んでたそうです。奈良にはいい土がなかったんですかね?それとも、首都の誇り?他で作って持って来させる的な?(先生はそんなこと言ってませんのでw)

今井天神山瓦窯では大きい瓦を作ってたそうで、7世紀前半に明日香村にある奥山廃寺(先生はみなさんご存知のって言ってましたが、すみません!知りませんでした!)の瓦として使われたそうです。飛鳥資料館の北東の村の中に奥山廃寺があり、そのお寺に運んでたそうです。それ以外の窯で鴟尾という家の屋根の端に飾るものなどを作ってたそうです。

ここの古墳は北にある近内かんす塚古墳や西山古墳、五条猫塚古墳とは違い、前方後円墳なので、より王権に近い存在の人が葬られてるんじゃないかな。というお話でした。

やはり、前方後円墳というのは、誰でも作れたわけじゃないくて、ある一定の条件があるんですね。

宇智川磨崖碑

宇智川磨崖碑行く前に説明忘れてました!今井1号墳から宇智川磨崖碑へ行く道、昔の街道だったそうで。先生がお話ししてくれてたんですが、どういった街道か聞き漏れました汗


また、今度お会いした時に聞くとして、風景が良すぎました。のどかオブのどか!
何かタイムスリップした気分になるような、風景でとてもよかったです。


名もなき街道

そして本題に戻り、今井1号墳から歩いて、10分くらい南に行くと宇智川磨崖碑があります。でも、ここ本当に木が鬱蒼としてて普通なら見逃します。
連れてきてもらえてよかったw

看板や石碑はありますが、どこから下りるんだってなりますよw下りるところこんな感じですw

ね?どこーーーってなるでしょ?一応ちゃんと階段はあって下りることができますが、草のつるとかたくさん生えてるので、引っ掛けてこけないようにしてくださいね。




ここまで下りると、やっと川が見えてきます。いきなり別世界ですよw
ここは、宇智川の渓谷になっており幻想的な風景が広がります。こんなところに磨崖碑があるなんて、もう少し考えて道路とか作ったらよかったのにー!って何もわからず言ってすみませんw

宇智川磨崖碑は宇智川が吉野川に合流する前がこのように狭くなっていて渓谷になっています。ここをおりてもらったらわかりますが、
上に県道39号線(五条吉野線)が走ってるとは思えない静けさと、水の音です。
※雨の後は水嵩が増すので、行くときは十分気をつけてください。
階段をおりて、辺りを見渡しても宇智川磨崖碑がどこにあるかわかりません。宇智川左岸の写真を貼り付けておきますね。この岩のどこかにありますw

この写真だけで、どれかわかった人は達人ですよw
わかった人は、ならかんのDM(ならかんTwitter)で送っていただければ死ぬほど褒めますw

対岸に渡ると、彫絵と文字が見えます。しかもだいぶ消えかかっていて、岩も侵食進んでるのでいつか見れなくなるかもですね。

菩薩様

頭部
宇智川磨崖碑の菩薩様頭部
蓮座

正直、かなり見えづらいです。だいぶ彫り部分も薄くなってますし、そもそも岩が侵食などで剥がれたりしてて、いつまでこの状態が残るかわからないですよね。

大般涅槃経

どの文字かわかりませんでした
大般涅槃経

大般涅槃経
私には、文字が読めなかったのですが先生が用意してくれた資料によると

大般涅槃経
諸行無常 □(是)□(生)滅法 生滅〃巳 寂滅為楽
如是偈句 乃是過去□(未)来現在諸仏所説 開空法道
如来證涅槃 永断於生死 若有至心聴
常得无量楽
若有書写読誦 為他解説 一経其耳者 却後七劫 下堕悪道
宝亀七年七月四日工少□□□
知識□□

文字は本当に読めない状態でしたが、一応このように書かれているそうです。
こちら、水量が少ない時は川を渡れますが、本当に気をつけてください!
一応動画も撮影したので、こちらもUPしておきます!

栄山寺

宇智川磨崖碑を見た後、栄山寺まで歩きます。途中吉野川がとても綺麗で下。晴れた日に見る吉野川はずっと見てられます。
吉野川
栄山寺は、常時お寺の方は居られないので入山料400円を払って入りました。
栄山寺看板

梵鐘建物

栄山寺梵鐘

栄山寺の梵鐘、現在はここ五条市にありますが、藤原道明と橘澄清が京都の深草に建立した道澄寺の鐘として作られたそうです。こちら大和鋳物師の作と言われているそうです。

栄山寺本堂

この栄山寺は、藤原鎌足の孫、藤原不比等の子である武智麿が養老3年(719年)に作られたそうです。ただ、その当時どのように建立されたのかはわかっていないそうです。また栄山寺でも特に有名な八角円堂はその時は作られておらず、その後建立されているそうです。お寺の名前も栄山寺と今はなっておりますが、前山寺という呼び方もあり、建立当時の名前はわかっていないそうです。

こちら発掘調査もされていないため、詳細がわかっていないそうです。古文書はもう少し後の時代のものであり、詳細はわからないそうです。

また、武智麿、房前、宇合、麻呂と政権の中枢にいた4兄弟は全て天然痘で亡くなっているため、武智麿の子、仲麻呂が父の供養のため八角円堂を建立したそうです。

武智麿は当初、佐保山に葬られたがその後改葬され、ここ栄山寺の裏山に葬られたそうです。その時に仲麻呂が八角円堂を建立したそうです。八角円堂といえば有名なのは、興福寺の南円堂、北円堂、法隆寺の夢殿があります。

法隆寺夢殿は、聖徳太子の菩提を弔うため、北円堂は藤原不比等、南円堂は藤原内麻呂をそれぞれ伴うために建立されました。それぞれ個人を供養するために多角形の建物を建立したそうです。最近では、古代の遺跡でも見つかっており、西大寺の菅原遺跡で円堂の遺構が見つかっており、行基を供養するために建立されたのではないかと言われています。円堂の特徴としては、内部に極彩色の装飾がされていたりする。そうですが、行った日はすでに特別公開が終わった後だそうです。残念!????

八角円堂

ここ実は史跡の名前は、栄山寺行宮跡と言われており栄山寺でも前山寺という名前でもないので、まだまだ謎に包まれているそうです。立て看板には719年創建と記載がありますが、実はそれより前の瓦なども見つかってるそうで、本当の創建年はいつかというのは謎で、伽藍配置もどうなっていたかなども、全て謎だということです。ただ、なぜここにお寺が建立されたかというと、前は吉野川が流れており、ただの山寺ではなく修行するためのお寺だったのではないか、など色々考察するところはあると先生はおっしゃってました。また吉野川は舟運の要所であったため、舟運を抑えてお金を徴収してたのではないかということでした。

八角円堂

今回、五條市初上陸でしたが、来たかった栄山寺行宮跡にもこれてとても良かったです。先生の話では、五條市は火葬部が多く公葬地に定められてる場所として設定されていた可能性がある。そのため藤原武智麻呂なども五條の地にお寺を建てて、自身もここに葬られたと考えられているそうです。もしかしたら、調査がされれば色々見つかるかもしれない場所ですね。

また、宇智川磨崖碑はすでにかなり侵食しており、いつ見れなくなってもおかしくない史跡のため、今このタイミングで見れたのはとても良かったです。あと、あんな道路の下に渓谷があってこんなすごい史跡があるなんて、誰も知らないんじゃないでしょうか?笑

このような素敵な史跡、なかなか難しいでしょうが保存など出来たら良いのにと思います。

 

 

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