王寺町の奈良穴場観光スポット『松永弾正久秀の墓』

松永弾正久秀の墓 / 古天明平蜘蛛と共に爆死した織田信長も一目おいた戦国武将

3.0
評価する松永弾正久秀とは、戦国時代の大名で大和の国信貴山城を居城としてました。
松永弾正は、もともと畿内で大きな勢力を持ってた三好長慶の元にいてたが、
織田信長上洛の際に、織田信長に従って畿内平定の功をあげました。
しかし、その後織田信長包囲網が確立されつつあった時に、反旗を翻し
足利義昭側につきました。
しかし、織田信長包囲網は崩れ織田信長配下で、元々同僚だった
筒井順慶に責められ、最後は信貴山城にて古天明平蜘蛛とともに
爆死したと言われています。
しかし、実際のところは、爆発する前に介錯して
御首級(みしるし)はひそかに運ばれ、ここの墓に筒井順慶によって
埋葬されました。
松永弾正久秀の墓を観光した運営者の感想
達磨寺境内にひっそりとありました。
今は(2015年11月現在)、達磨寺にはボランティアの方がおられて、
とても丁寧にご説明いただけました。
なぜ写真のように華やかにしていないかというと、
やはり謀反を起こした張本人であり、ここに埋葬したのが
織田信長家臣の筒井順慶だったためです。
筒井順慶は、もともと松永久秀と同僚だったこともあり、
よしみを通じていた松永久秀を偲んで、ここに首を埋葬したと教えてもらえました。
観光基本情報
王寺町の観光地名 | 松永弾正久秀の墓 / 古天明平蜘蛛と共に爆死した織田信長も一目おいた戦国武将 |
---|---|
ジャンル | |
住所 | 奈良県王寺町本町2丁目1−40 |
電車・バスでのアクセス | JR王寺駅より、徒歩10~15分 |
車でのアクセス | 西名阪香芝ICを降りて、国道168号線を北上、15分くらい。
|
駐車場 | 達磨寺の無料駐車場有り。 |
入館、拝観料など | 無料 |
営業時間 | 00時00分~00時00分 |
休日 |