桜井市の奈良穴場観光スポット『景行天皇纏向日代宮跡』



景行天皇纏向日代宮跡 | 日本武尊(やまとたけるのみこと)の父の宮があった場所

3.0
評価する第十二代景行天皇の日代宮の跡。
紀元730年に景行天皇が即位後この地に宮を設けて、大和朝廷による全国統一を進められた。
その立役者は、皇后の播磨稲日太郎姫との間に生まれた、日本武尊(ヤマトタケル)である。
また、景行天皇は五・七調の神代文字で記された秀真伝(ホツマツタエ)文献を、大直根子(オオタタネコ)に命じて編纂させ、後世に残したとされている。
景行天皇纏向日代宮跡を観光した運営者の感想
こちらも垂仁天皇纏向珠城宮跡と同じ道沿いの上ったところにあり、普通に通り過ごしそうでした。
奈良は、こういった普通のところにも歴史があるんだなと実感できました。
景行天皇は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の父。
この時代、熊襲(くまそ)と蝦夷(えみし)を討伐して、辺境にまで勢力を拡大しました。
『古事記』では景行天皇は137歳まで生き、77子を諸国に封じたとされていることから、実在が不明確な天皇でもあります。
それと同時に、景行天皇の子である日本武尊も多くの学者から存在を否定されています。
『日本書紀』によると、まず景行天皇が九州南部にいた熊襲という種族を征伐。
征伐後、景行天皇が大和にもどると、再び熊襲がヤマト政権に背きます。
そのため日本武尊が派遣され、熊襲の長である川上梟帥(かわかみたける)を討ったそうです。
日本武尊の父親とか、本当に胸踊りますよね。こんな有名な天皇陵だったら、もう少し観光スポットとして、ちゃんとしたらいいのにと思います。
日本武尊の父親のお墓、是非行ってみてください。
観光基本情報
桜井市の観光地名 | 景行天皇纏向日代宮跡 | 日本武尊(やまとたけるのみこと)の父の宮があった場所 |
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ジャンル | 建物・建築物 古墳 |
住所 | 奈良県桜井市穴師447 |
電車・バスでのアクセス | バス停「相撲神社口」から約1キロ |
車でのアクセス | 西名阪天理ICから国道169号線を30分ほど南下、辻北交差点を左折道沿いに約1分 |
駐車場 | なし |
入館、拝観料など | |
営業時間 | 00時00分~00時00分 |
休日 |