
奈良県のいちばん南、十津川村にある「谷瀬の吊り橋(たにぜのつりばし)」に行ってきました。国道168号沿いの上野地と、十津川をはさんだ対岸の谷瀬の集落とをつなぐ、とても長いつり橋です。
長さは297.7メートル、高さは54メートル。生活のために架けられた鉄線の吊り橋としては日本一の長さといわれていて、十津川村でもいちばん有名な観光スポットのひとつです。欄干から先はずっと山と空と川ばかりで、渡りはじめると足もとの板が少しずつ揺れて、思わず手すりの網をつかんでしまいました。

橋の上から見下ろすと、はるか下に十津川の広い河原が見えます。この日は夕方に着いたので、谷あいに差し込む光と川のきらめきがとてもきれいでした。私が渡ったときは風もおだやかでしたが、それでも54メートルという高さは、写真で見るより実際はずっと迫力があります。
谷瀬の吊り橋ができた歴史と黒木御所跡

橋のたもとには「日本一 谷瀬の吊り橋 長さ297.7m 高さ54m 十津川村」と書かれた木の看板が立っています。
この吊り橋は、観光のためではなく、もともとは村の人たちの生活の橋として架けられたものです。昭和29年(1954年)に、上野地と谷瀬の住民がお金を出し合って完成させたと伝えられています。当時としてはとても大きな負担だったそうで、それだけ川の向こうへ渡る橋が暮らしに欠かせなかったことが伝わってきます。

橋を渡って右へ200メートルほど行くと「黒木御所跡(くろきごしょあと)」があり、そこの説明板に歴史が書かれていました。
それによると、元弘元年(1331年)10月、大塔宮護良親王(おおとうのみや もりよししんのう)が赤坂城を脱出して高野山を経て十津川に逃れてきたとき、十津川の豪族・竹原八郎がこれを迎え入れ、仮の宮殿を建ててかくまったと伝えられているそうです。明治22年(1889年)の大水害までは、宮や従臣が弓術・馬術を練習したところや、竹原八郎の墳墓といわれる五輪の塔などがあったものの、今は河底に埋もれているとのこと。さらに、この場所は幕末に天誅組が幕軍を迎えて決戦を試みようとしたところでもあると書かれていました。深い山の村に、南北朝や幕末の歴史が重なっているのが印象的でした。
谷瀬の吊り橋を渡った感想

橋の幅は板が三枚ほどの細い通路で、両側は金網で囲われています。まっすぐに伸びた板の道が対岸の主塔へと続いていて、写真で見ると一本の線のようにきれいに消点に向かっていきます。歩くとギシギシと音がして、人がすれ違うたびに橋全体がゆっくり波打つように揺れました。

入口には「危険ですから一度に20人以上はわたれません」「橋の上は禁煙です」と書かれた横断幕がかかっています。両側の網には乗らないようにとの注意書きもありました。生活の橋でもあり、たくさんの人が訪れる観光地でもあるので、譲り合ってゆっくり渡るのがよさそうです。


真ん中あたりまで進んで下をのぞくと、金網ごしに54メートル下の河原が見えます。高いところが苦手な方にはなかなかスリルがあると思いますが、そのぶん渡りきったときの達成感は格別でした。夏には橋の下の河原でキャンプや川遊びを楽しむ人も多いそうで、川の水はとても澄んでいました。
谷瀬の吊り橋の基本情報

親柱には「谷瀬橋」と刻まれた銘板がはめ込まれていました。「谷瀬の吊り橋」は、この谷瀬橋の通称として親しまれている呼び名です。
| 観光地名 | 谷瀬の吊り橋(谷瀬橋) |
| 住所 | 奈良県吉野郡十津川村上野地65-2 |
| アクセス(電車・バス) | JR五条駅から奈良交通バスで約1時間30分、「上野地」バス停下車すぐ |
| アクセス(車) | 京奈和自動車道・五條ICから国道168号経由で約43km・約1時間(山道でカーブが多いので運転注意) |
| 駐車場 | 村営の上野地駐車場あり(有料。台数・料金は変わることがあるため公式サイトで要確認) |
| 通行料 | 無料(時間の制限なし。一度に渡れるのは20人まで。二輪車の通行は禁止) |
| 規模 | 長さ297.7m・高さ54m(現地看板による) |
| 問い合わせ | 十津川村観光協会 0746-63-0200 |
ゴールデンウィークやお盆など混み合う時期は一方通行になることがあるそうなので、出かける前に最新の情報を確認してみてください。
この記事の写真は、夏に撮ったものと、夕方に撮ったものの二回分がまざっています。空の色が違うのはそのためです。
※この記事の写真は2019年夏と2021年9月に撮影したものです。現在の様子とは異なる場合があります。













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