勝手神社について
勝手神社は吉野八社明神のひとつで、金峯山の山の入口にあるので山口神社ともいいます。
文治元年(1185)の暮れ、源義経と雪の吉野山で涙ながらに別れた静御前は、従者の雑色男に金銀を奪われ、山中をさ迷っているところを追手に捕えられて、この社殿の前で雅た姿で法楽の舞をまい、居並ぶ荒法師たちを感嘆させたとう話が伝えられています。
この神社の祭神は、大山祇神・木花咲耶姫命ほか三神で、社殿は豊富(豊臣)秀頼が慶長九年(1604)に改修したのが、正保元年(1644)十 (二月に焼亡したので、翌二年に再建され、さ. らに明和四年(1767)にまたも焼失しました。 現在の建物はこの後の再建になるものです。
社殿の後の山を袖振山といって、天智天皇 の十年(672)大友皇子に対抗して、吉野(今の宮滝) に兵を挙げた大海人皇子(天武天皇)が、この神 前で琴をかなでていると、天女が後ろの山の上から袖をひるがえして舞いながら現れ、吉兆を示しました。この故事が五節の舞の起りだといわれ、芸ごとに深いかかわりを持つ神 様とされて、かつては猿楽や能が盛んに奉納 されました。
勝手神社公式ホームページ
主祭神と創建時期
主祭神 | 天之忍穗耳命 |
社格等 | 式内社(大)論社 |
創建時期 | 不明 |
勝手神社に行った感想
吉水神社へ行くときに、ふと立ち寄ったのですがまさかの由緒正しい神社!しかも勝負の神様で、あの静御前も舞をした場所という話をしりびっくり!つくづく奈良には歴史の話が尽きない事にびっくりしました。何かの勝負の時、舞をするときはぜひ吉野町にある勝手神社へお参りにいきましょう!また、現在本殿も再建するために寄付も募っているのでぜひみんなの力で復元させましょう!
勝手神社の基本情報
観光地名 | 勝手神社 |
住所 | 奈良県吉野町大字吉野山2354 |
電車・バスでのアクセス | 近鉄電車吉野線、吉野駅下車口ープウェイ吉野山駅下車徒歩約20分 |
車でのアクセス | 南阪奈道路から大和高田バイパスを経由して、小房交差点を左折 国道169号線を南下、約30分、明日香村を超えてトンネルを超えた先で左車線を使用して、県道222号 を進んで大淀町健康づくりセンター/ミズノウエルネス大淀 の標識に従う。 上比曽(交差点) を右折してそのまま 県道222号 を進み、比曽口(交差点) を左折して 国道169号に入る (熊野/吉野 の表示) 吉野大橋北詰を右折し県道39号線を約15分 |
駐車場 | 駐車場: 数台分(下千本駐車場の利用が安全です) |
入館、拝観料など | – |
拝観時間 | – |
格式高い勝手神社の総本山でご利益は勝運、必勝、芸能の神様
- 勝手神社の歴史
- 静御前との関係性
勝手神社の歴史

勝手神社の創建時期は?
創建は不明ですが金峰山寺や桜本坊に伝わる『日雄寺継統記』によれば、孝安天皇六年(紀元前386年)十二月と伝えられ、大海人皇子(天武天皇)が琴を奏でられ、天女が舞い降りて、五度袖を振りながら舞ったと伝えられ、日本の雅楽では唯一、女性が演じる舞で大嘗祭や新嘗祭に行われる豊明節会で、大歌所の別当の指示の下、大歌所の人が歌う大歌に合わせて、4~5人の舞姫によって舞われる雅楽の「五節の舞」発祥地とされております。
主祭神は?

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