考古学サークルなら2023年2月〜巨勢山古墳群の旅〜

御所市

2023年2月の考古学サークルならは御所市(ごせし)で巨勢氏(こせし)をたどりました。

この日はあいにくの曇り空でしたが、近鉄御所駅に集合して、奈良交通で「宮戸橋」バス停まで向かいました。

奈良交通バス

奈良交通バス

宮戸橋で下車して、御所市教育委員会文化財事務所文化財課(長い!)に向かって歩きます。この文化財課には文化財展示室があり、まずはそこから見学!(開室時間は平日の9時〜17時)

御所市教育委員会文化財事務所文化財課

この場所は葛城氏と巨勢氏の本拠地であったこともあり、いろいろ展示されてありました。

土器など展示物

青銅鏡

青銅鏡は別に保存・保管しておりこちらに展示してるのはレプリカだそうです。

先生がどれがレプリカでどれが本物だという説明をしてくれてたんですが、聞き逃しました…一生の不覚…

青銅鏡や甲冑や靫なども展示しておりました。また鴨都波神社の周りにある鴨都波遺跡の説明もありました。鴨都波1号墳は御所済生会病院が建てられたときに発掘調査されて遺跡です。葛城の中でもかなり古い遺跡で、こういった古い遺跡はないだろうと言われていたが、三角縁神獣鏡などが見つかったそうです。古墳はそんなに大きくなく16mの方墳です。

室内には椅子があったのですが、なんと縄掛け突起の石棺の形をした椅子がありました!めっちゃ欲しい!笑

ちなみに巨勢の古墳群は700基以上あったそうです。古墳群も大きさが研究者によってもまちまちだそうです。多すぎ!!巨勢さんすごい!↓黒丸が全て古墳!

巨勢古墳群

この後行く宮山古墳についても展示があり、奈良でも全国でも大型の前方後円墳で238mあります!宮山古墳にはつくびだしという3つの飛び出し部分(つくびだしって漢字がわかりません汗)あり、埴輪や埋葬施設があったそうです。

宮山古墳

この巨勢古墳群、誰の(どの豪族の)古墳群なのかは難しいところで、一般的には葛城氏の関係ではないか?という話もあるがこれだけの古墳群、この場所住んでる人のお墓ばかりというのも考えずらく、離れたところの人も葬られてる可能性があるそうです。これから行く宮山古墳に埋葬されている方と血縁関係を作っていき、この被葬者と血縁があるという人が全てこの古墳群に埋葬されてるのではないかという先生のお話でした。このような大きい古墳群は奈良ではこの巨勢山と龍王山くらいだそうです。

ということで、この後宮山古墳へ向かいます!

宮山古墳へ!

前に見てるのが宮山古墳!めちゃくちゃ大きいですね。この手前にある畑も元々古墳の部分だそうです。ただ詳しい発掘とかはしてないそうで、詳しいことはわからないそうです。

古墳に上がる手前には神社がありました。

八幡神社

この横から古墳の頭頂部へ行くのですが、登り道には石棺の石っぽいものが!?

長持形石棺?

頭頂部に上がると長持ち型石棺を見ることができます。

長持ち形石棺の説明

長持ち形石棺の正面

石棺の横

ちょっとわかりづらいですが、3枚目を見ていただくと石棺と石室の隙間がほとんどないことがわかると思いますが、石棺は先に作られ配置した後で、石室を作ってるそうです。1枚目2枚目の写真でわかる通り、穴を開けて盗掘されております。

長持ち形石棺は王者の棺と言われていて位の高い人しか入れない石棺で、仁徳天皇陵の前方部からも長持ち形石棺が出たそうです。5世紀前半の大きい古墳にはこの長持ち形石棺が入ってたそうです。実際見れるのはなかなかないそうで、この宮山古墳は絶対行ったほうがいい古墳です。奥行きも無いように見えるけど4mもあるそうです。

石室を囲む埴輪列

埴輪

この見れる石室と並行してもう1つ石室があるそうですが、発掘調査はされてないそうです。この中には何が埋まってるんでしょうね。1つが埋葬者が埋葬者が被葬されており、1つは武器などを埋葬してたりすることもあるそうですが、ここにも武器や盾が埋葬されてたって言ってたと思うのですが記憶が曖昧!汗

横の石室の天井石

宮山古墳は5世紀前半の古墳でこのあたりの中期までの古墳では最大の古墳となります。前期の古墳はこの辺りにはなく中期になって大王クラスの古墳ができたそうです。葛城氏の古墳で葛城襲津彦の古墳だとも言われてますが、正確にはわかっていません。古墳の被葬者を特定するのはとても難しいそうです。

また、頭頂部だけに埋葬施設があったわけではなく、先ほども書いたつくりだし部にもあったり、前方部にもあったりするそうです。また頭頂部にある石室が2つ並んでおりますが、夫婦で入ってるとかではないとのことです。こういった古墳時代のことを考える時は今の考え方で物事を見ずにその時どうだったかを考えて見るということが大事だそうです。

古墳時代は、兄弟で被葬される事が多いらしく奥さんは生まれ故郷で被葬されることが多いそうです。

ただ、DNAとかそういった鑑定できるものがないと正確にはわからないですね。またここだけではなく前方部やつくりだしにも被葬されていますが、こちらも誰なのかははっきりわからないのが正直なところだそうです。

言えることは、前方後円墳は1人だけを埋葬してるのではなく、たくさんの人を埋葬してることが多いそうです。

次は巨勢山古墳群條池支群の條ウル神古墳、條池南古墳、條池北古墳!

条池北古墳だけは石室が見えるのでのぼりました。

条池北古墳

条池北古墳

条池北古墳条池北古墳は基底石の据え付け穴から玄室長4.80m、同幅2.44m、羨道長3.30m同幅1.80mの平面形を持つ右片袖式の横穴式石室が存在していたと考えられ、西(池側)に開口しています。
盗掘は激しいが、奥壁部分に石敷があり、棺床が設けらていたと考えられます。さらに閉塞石が玄関付近で採石をまぬがれて遺存していました。
遺物は、碧玉製管玉、須恵器(蓋杯、高杯、器台、長頸壺)の破片と馬具(鏡板、兵庫鎖、辻金具)、銀装の刀、鉄鏃、円筒埴輪断片等が出土しました。

次は條ウル神古墳!

條ウル神古墳は長方形の古墳で大正4年に発掘されたそうですが、はっきりしたことはわかっていないそうです。埋葬施設は玄室の長さ7.1m、幅2.6m、高さ4.2mとかなり大きい!石棺の長さは278cmだそうです。6世紀後半の遺跡で葛城氏の関係か巨勢氏の遺跡ではないかと言われています。玄室が細長いのですが、巨勢氏の古墳には玄室が細長い古墳が多いので、巨勢氏かもしれないと言われているそうです。

そして、写真を撮り忘れるという大失態!

というか、今回は他も写真撮り忘れがありました。楽しみすぎると写真の撮り忘れが発生するということがわかった良い回でした笑

書いた以外にもネコ塚古墳、みやす塚古墳も回りました。どちらも石室などには入れないところでした。

今回は御所市の巨勢山古墳群を回りました。御所市の名前の由来は知らないですが、御所と巨勢…そういうことですよね笑

 

 

 

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