天河大弁財天社は今現在も芸能人が足しげく通う芸能の神様

天川大弁財天社鳥居 天川村

天河大弁財天社は芸能人も参拝する芸能の神様の社

天川大弁財天社鳥居2

 

主祭神と創建時期

主祭神市杵島姫命
社格等吉野総社、大峯本宮、郷社
創建時期飛鳥時代

天河大弁財天社について

観光地名天河大弁財天社
住所奈良県吉野郡天川村坪内107
電車・バスでのアクセス近鉄橿原神宮前から下市口下車 奈良交通バス「中庵住行」バスで約1時間「天河神社前」下車
車でのアクセス★大阪市方面から ・・・南阪奈道路経由R169・R309で天川村へ (大阪市内から天川村川合まで約2時間〜2時間半)

★京都・奈良市方面から ・・・京奈和自動車道橿原バイパス経由R169・R309で天川村へ (奈良市内から天川村川合まで約2時間)

★名古屋方面から ・・・名阪国道針ICからR370経由R169・R309で天川 (針ICから天川村川合まで約1時間45分〜2時間(名古屋西ICから約3時間半))

※道路の通行規制/冬季通行止めについて
・R309行者還トンネル方面は冬季閉鎖(12月中旬〜4月中旬)
・県道洞川下市線(小南峠方面)及び県道大峰山公園線(母公堂から大峯大橋)は冬季通行止
・広域基幹林道吉野大峯線(洞川〜吉野)及び林道高原洞川線(洞川〜川上村)は冬季通行止(12月〜3月末)
駐車場神社の前に無料の駐車場あり
入館、拝観料など
拝観時間

天河大弁財天社のご紹介

大峯本宮天河大辨財天社は芸能の神様で有名だが本当は修験道の聖地

  1. 天河神社の歴史
  2. 天河神社は芸能人信仰の地

天河大辨財天社(天河神社)の歴史

天川大弁財天社石段

天河大辨財天社(天河神社)の創建はいつ?

創建は古く、飛鳥時代に役行者が大峯開山の際に弥山(みせん)の鎮守として祀られたのに始まる。現在弥山頂上には天河神社奥の宮として弥山神社があります。また天河大辨財天社は役行者が創建したこともあり、弘法大師空海が高野山の開山に先立って3年間大峯山で修行し最大の行場が天河神社であった。天河神社には今でも弘法大師にまつわる遺品が奉納されている。

 

主祭神は?

宗像三女神の一人、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。宗像三女神とは宗像大社(福岡県宗像市)を総本宮として、日本全国各地に祀られている三柱の女神の総称で、市杵島姫命(イチキシマヒメ)という神様は、弁財天という神様と同一と考えられ、金運・財運を高めるご利益があるとして、市杵島姫命(イチキシマヒメ)を祀る神社は多くの方が参拝されます。また、市杵島姫命は日本の歴史上とても重要な役割を任された神様としても有名で、仏教によってもたらされた天部の神である弁財天という神様と同一視されるようになります。社の名前でもわかりますが、天河神社は弁財天を祀られており、弁財天は川の流れの妙なる様を神格化したとされる、古代インドのサラスヴァティー神であり、その本来の神徳は水の神、そして、水せせらぎの如く素直で妙なる弁舌や音楽の神であり、日本の古代より行われてきた水神の信仰とも結びついています。そこから芸能の神様としても信仰が熱くなったのだと思われます。

 

有名な歴史書である多聞日記にも登場

多聞日記には

「天川開山ハ役行者 -マエ立チノ天女ハ

  高野 大清層都コレヲ作ラシメ給フ」

という一文があります。これは室町時代の傑僧多門院英俊が天河詣した際の様子を書かれています。

天河神社は芸能人信仰の地

社

 

何故芸能の神様として有名になったの?

先ほども書いた通り、この天河神社は弁財天が祀られており、弁財天は水の神ということが水商売の神となり 水商売の神=芸能の神となりました。また何故有名になったのかというと、奈良出身のKinki Kidsメンバーである堂本剛さんや、松任谷由美さんや長渕剛さん、坂本龍一さん、喜多郎さんなどの芸能界でも著名人な肩がこの山奥にわざわざ参拝されたことにより、一気に有名になりました。また、この天河大辨財天社(天河神社)は”縁がなければたどり着けない場所”としても有名で、天河神社の神様に呼ばれないとたどり着けないところで、選ばれし者のみ参拝できる場所と言われていることも、芸能の方に信仰されている理由ではないでしょうか。

 

五十鈴(いすず)は天河神社の神器

天川大弁財天社の五十鈴

五十鈴(いすず)は、天河大辨財天社に伝わる神器で天照大神がお隠れになった天岩戸の話にも出てきます。天照大神が天岩屋戸に隠れたとき、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が、ちまきの矛をもって、岩屋戸の前で舞われて他事により、岩屋戸が開かれ天地とともに明るく照りかがやいたという話の中に出てくる天宇受売命が使用した神代鈴(ちまきの矛)と同様のものです。

天宇受売命は芸能の神、俳優の神、舞楽の神ということもあり、五十鈴をお守りとして購入される方も多いです。

 

この五十鈴の特徴的な三つの球形の鈴は、それぞれ、

  • 「いくむすび」
  • 「たるむすび」
  • 「たまめむすび」

という魂の進化にとって重要な三つの魂の状態(みむすびの精神)をあらわしています。

この五十鈴の清流のような妙なる音の響きによって、心身は深く清められ、魂が調和し本来あるべき状態に戻り、新たな活力が湧いてくるとも言われております。

 

天河大辨財天社(天河神社)の能舞台

天川大弁財天社の能舞台

 

天河神社にはたくさんの能面・能装束、小道具、能楽謡本関係文書が多数あり、年代も室町時代から江戸時代までと信仰が厚いことがよくわかります。社殿の中には能舞台があり、今でも7月の例大祭や春秋の大祭には能楽奉納や演奏がされます。

実際に行った感想

鎌倉から室町時代に栄えた 弁財天霊場を讃える歌に、 弁財天和讃というものがあります。

黄金花咲く金華山

岸に宝珠の江ノ嶋や

高き恵みの富士の嶽

誓ひも茂る竹生島

波に華表の厳島

背振の山や天の河

箕面の山に摩尼の山

室生或は宝山寺

山門三井寺高野山

四天王寺を始とし

六十余州の霊場に

宮居玉はぬ所なし

古くから天河弁財天社は有名で、歌に歌われていて、日本三大弁財天の1つに数えられる、由緒正しい神社なんです。

また、祀られている宗像三女神は芸能の神として有名で、KinKi Kidsの堂本剛さんなど、たくさんの芸能人の方が参拝に来られるそうです。

この天河神社で祀られている弁財天は、七福神の中では、ただ1人のの女神で、元々はインド河の神だったのですが、やがて音楽の神や、言語の神となって日本に伝わり当初は、弁才天と呼ばれていたそうです。。その後、財宝・芸術に関係深い吉祥天の性格が吸収され弁財天と「才」が「財」と変わり、財宝を授けてくださる神へとなったそうです。

とても山奥にあり車以外で行くのは困難ですし、冬は雪深く行ける時期も限られていますが、春や秋10月くらいなどの紅葉の季節に行くととても綺麗だということなので、芸能人になりたいあなた!も一般人(笑)の方もぜひ1度は行って見てほしい観光スポットです。

天川大弁財天社の斎灯籠

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