丹生川上神社上社は丹生川上神社3社の1つ!
丹生川上神社上社は龍神総本宮
天武天皇白鳳四年(675)ご神宣により建立奉祀された。
御祭神の高龗大神(たかおかみのおおかみ)は龍神にて水、雨を掌られる大神様
祈雨・止雨の神として奈良時代には淳仁天皇天平宝字七年(763)の奉幣祈晴をはじめ、室町時代に至るまで数10回の奉幣祈願がなされ、朝廷・国家また人々より篤い崇敬を受けている。
主祭神と創建時期
主祭神 | 高龗大神(たかおかみのおおかみ) |
社格等 | 真言宗室生寺派 |
創建時期 | 宝亀年間(770年 – 781年) |
丹生川上神社上社について
丹生川上神社上社は川上村にある丹生川上神社3社の1つで上社にあたる神社です。
ご祭神は高龗大神で龍神にて水・雨を掌られる大神様です。川上村は吉野川、紀ノ川の源流にもあたる場所で、水の神様がこちらにおられるのは、当然のことだと思います。
この大神は、神代において伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火の神かぐつち神を斬り給うた時に生(あ)れませる神様です。
「高龗神」は山の峰の龍神、下社に祀る「闇龗神」は谷底に棲まれる龍神のことです。
高龗神を御奉祀する神社の数は、全国で本社 約1,300社、境内社 約300社、計1,600社となっています。
御由緒・御崇敬
丹生川上の地は、日本書紀神武天皇即位前紀戊午年九月甲子の条に、「厳瓮(いつへ)を造作(つく)りて、丹生の川上に陟(のぼ)りて、用(も)て天神地祇を祭りたまふ」と記されており、上古より祭祀を行う聖域であったことが知られます。
遠景
天武天皇の御代白鳳四年(675)、「人の声聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬(いつ)き祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨を止めむ」という神宣により、御社殿が建立、奉祀されました。
それ以降、祈雨・止雨の神として奈良時代には淳仁天皇・天平宝字七年(763)の奉幣祈雨、光仁天皇・宝亀六年(775)の奉幣祈晴をはじめ、室町時代に至るまで数十回の奉幣祈願がなされ、朝廷・国家また人々より篤い崇敬を受けてまいりました。
この里は 丹生の川上ほど近し
祈らば晴れよ 五月雨(さみだれ)の空
後醍醐天皇が吉野の行宮(あんぐう)に在らせられた折、当社に寄せて詠まれた有名な御製です。朝廷の奉幣にあたり、旱魃(かんばつ)の際の祈雨には黒毛の馬を、長雨の際の止雨には白毛の馬を奉るのを例としました。
(なお、この生きた馬の代わりに絵馬を奉納するという風習が、のちに普及したといわれています。)
平安時代の法令集「延喜式」(927)では、名神大社という特に霊験あらたかな神社として月次・新嘗祭に際し官幣に預かり、神階は寛平九年(897)従二位に叙せられました。また、雨師社・雨師明神・丹生大明神とも称されました。
そして平安中期以降は、朝廷における最高格の社格となる「二十二社」の一つに数えられました。
しかし、応仁の乱(1467)の後は奉幣も途絶えて衰微し、社地の所在も不詳となりました。
明治以降、御由緒の重きにより官幣大社として上社(明治二十九年)、中社(大正十一年)、下社(明治四年)の三社が列せられました。
また、大滝ダム建設の際、村とともに沈みましたが、その後再建され現在の位置にあります。
奈良観光で、ここを訪れる方も多く有名な神社の1つです。
丹生川上神社上社に行った感想
国道169号線を走ってると、山の上のほうに丹生川上神社上社は見えます。一見どこから上に上がるのかも分からないので、行き方に少し困るのですが、奈良市内から車を走らせると、杉の湯を過ぎてすぐの交差点を左折すると山を登ってくる道があり、
そこを上がっていくといきなり神社が見えてきます。
あまり上がってないように見えるのですが、結構山の上にあり景色もきれいで、海に沈んだ元神社があった場所もよく見えます。
丹生川上神社上社の基本情報
観光地名 | 丹生川上神社上社 |
住所 | 奈良県川上村大字迫167 |
電車・バスでのアクセス | ●東京・名古屋方面から 近鉄名古屋…… 近鉄特急 (約2時間50分) ……大和上市…… バス (約30分) ……湯盛温泉・杉の湯…… 徒歩 (20分) ●京都方面から 京都…… 近鉄特急 (約1時間35分) ……大和上市…… バス (約30分) ……湯盛温泉・杉の湯…… 徒歩 (20分) ●大阪方面から 大阪阿部野橋…… 近鉄特急 (約1時間10分) ……大和上市…… バス (約30分) ……湯盛温泉・杉の湯…… 徒歩 (20分) ●和歌山方面から 和歌山…… JR (約1時間30分) ……吉野口…… 近鉄特急 (約20分) ……大和上市…… バス (約30分) ……湯盛温泉・杉の湯…… 徒歩 (20分) ※上記時間には待ち時間は含みません。 ※所要時間は時間帯等により異なる場合があります。 ※平成27年10月1日より奈良交通バスの路線が廃止になり、代替交通として川上村やまぶきバス、吉野町スマイルバス、南部地域連帯コミュニティバス「R169ゆうゆうバス」が運行されます。詳しくは、川上村役場または奈良交通株式会社へお問い合わせください。 |
車でのアクセス | ●名阪国道 針インターから……………………………約1時間30分 ●京奈和自動車道 橿原北インターから………………約1時間20分 ●京奈和自動車道 五條北インターから………………約1時間10分 ●南阪奈道 葛城インターから…………………………約1時間20分 |
駐車場 | 境内に無料駐車場有 |
入館、拝観料など | – |
拝観時間 | – |
丹生川上神社上社は村とともにダムに沈んだ神社
川上村を回ってるときに、こちらの丹生川上神社上社に来ました。

丹生川上神社上社は、吉野川が流れる谷から少し上がったところにある神社です。こちら実はダムができる前は谷にあったのですが、ダム建設で村と一緒に沈むことが決まり神社跡の中腹に再建されました。
ダムに沈む前に発掘調査が行われて、宮の平遺跡が発掘されました。本殿跡真下から、自然石を敷き並べた祭壇跡が出土し、また付近では縄文時代(約4000年前)の祭祀遺跡(環状配石遺構)が出土この「宮の平遺跡」は縄文時代早期の大規模集落跡と判明し、古代から人の住まう土地だったのです。
また、神社の方にお話しをお伺いしたところ元々谷にあったときは向かいの山がご神体だったそうで、龍神様が現れたそうです。



関西では非常に珍しいストーンサークルがあった!?
丹生川上神社上社は、元あった場所は大滝ダム建設時に沈んだのですが、大滝ダム建設中に宮の平遺跡が発掘されましたが、ここは縄文時代からお祈りをした場所だったそうです。
この場所、ちょうど山と山の谷あいにあり、吉野川、紀の川から太平洋にそそぐ源流域でもあり、宗教的にも重要な場所だったのだと思います。
そんな宮の平遺跡があった場所から30センチほどの直立したままの石棒が当時のままの姿で発掘された。このほかにもやや傾いたままの石棒が2基、磨石、石皿、などの他に環状配石遺構(ストーンサークル)も発見された。
ストーンサークルは国内でも珍しく、多いのは東北と北海道の地方で大陸から渡ってきたウラル系遼河文明人が作ったのではないかと思います。しかしなぜ関西のしかもこんな山奥からも発見されたのかは、謎の部分が多いと思います。
個人的意見ですが、その後奈良は日本の首都になり中枢部分になることからもわかるとおり、大陸から黒潮の流れを使って渡ってくる人間は縄文時代以前からいたのではないでしょうか。その渡来系の人によりストーンサークルのような祀りなどが伝来したのではないかと考えます。

また、最近のブームもあるのか御朱印帳が売っていたのですが、なんと吉野杉を使って作られた御朱印帳だそうで、これは絶対買っておかないといけないぞ!と龍神様が言ったような(妄想)気がしたので購入しました。

こちらの社へ行くには、杉の湯近くから登り道があります。見晴らしもよく綺麗な神社、丹生川上神社上社、奈良観光するならぜひ行っていただきたい場所です。






2022年秋の紅葉風景
2022年11月下旬に改めて丹生川上神社上社に来ました。この日は晴天で暖かくて最高でした。紅葉ももう終わってると思ったらとてもいい感じ!
平日ということもあって参拝客は1人もいなかくて、余計に厳かさが強調されてました。ゆっくり見るなら平日が一番!






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