
奈良県桜井市の阿部(あべ)にある安倍文殊院(あべもんじゅいん)は、「三人寄れば文殊の知恵」のことわざで知られる文殊菩薩をおまつりするお寺です。公式サイトによると、京都府の天橋立切戸の文殊、山形県の奥州亀岡の文殊とならぶ日本三文殊の第一霊場にあたります。
近鉄・JRの桜井駅から南へ歩いて20分ほど。私が訪ねたのは2019年5月2日のお昼どきで、新緑がまぶしい日でした。本堂の前には絵馬がびっしりと掛かっていて、合格祈願のお寺なんだなというのが一目で分かります。
ただ、このお寺は本堂だけ見て帰るとかなりもったいない場所です。境内には飛鳥時代の古墳が2つあって、しかも片方は石室の中まで入れます。
安倍文殊院の創建と国宝の文殊菩薩
公式サイトによれば、安倍文殊院の創建は大化元年(645年)。孝徳天皇の勅願により、大化の改新で左大臣となった安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が安倍一族の氏寺として建立した、日本最古に属する寺院とされています。

ご本尊は国宝の騎獅文殊菩薩像。境内に立つ桜井市観光協会の説明板には、こう書かれていました。

文殊菩薩は獅子に乗るお姿でその総高は7メートルと、現存する我が国の文殊さまの中では最大を誇ります。そのお姿は獅子に乗る文殊菩薩を中心として、左側で優填王が獅子の手綱を執り、右側に仏陀波利三蔵・最勝老人(維摩居士)が前後に侍し、この一群を、善財童子が先導する、いわゆる渡海文殊の群像です。
公式サイトでは、この日本最大約7mの文殊菩薩は快慶の作と紹介されています。
石室に入れる特別史跡・文殊院西古墳
このお寺でいちばん驚いたのが、本堂のすぐそばにある文殊院西古墳でした。国指定の特別史跡で、飛鳥時代の築造です。

鉄の門が開いていて、中に入れます。現地の説明板には、こう書かれていました。

良質の花崗岩石を入念に加工し側壁も弓状態として壁面を調整、左右の石の数も揃え対称に仕上げている。殊に玄室の天井石は一枚岩で約十五㎡もありその巨大さに唖然とするばかりである。しかも天井石の中央部分を薄く削り上げ窮隆状(∧の形)とし天井石の全体面をアーチ型に仕上げている手法は心憎いばかりである。これらの点で築造技術における古墳内部の美しさは日本一の定評がある。
説明板によると、この古墳は当山を創建した左大臣・安倍倉梯麻呂の墓と伝えられ、玄室には弘法大師お手造りと伝わる平安時代の「願掛け不動」がまつられています。寸法は羨道が長さ8m・幅2.3m・高さ1.8m、玄室が長さ5.1m・幅3m・高さ2.6mと記されていました。

実際に入ってみると、石の目地がぴたりと通っていて、壁が本当に真っ平らです。真ん中に願掛け不動、その両脇にろうそくが灯っていました。

奥から振り返ると、羨道の四角い枠の向こうに外の光が見えます。1300年以上前の石積みの中に立っているのだと思うと、なかなか不思議な気分でした。
東古墳(閼伽井の窟)
境内にはもうひとつ、東古墳があります。石灯籠が両脇に立っていて、こちらも開口部から中をのぞけます。


説明板によると、東古墳も飛鳥時代の造立で、「閼伽井(あかい)の窟」とも呼ばれています。閼伽井とは「閼伽水の井戸」の意味で、羨道の中程に古来より枯れることのない泉があったことが由来だそうです。この泉の水は「閼伽水(智恵の水)」と言い、法要などに使う清浄な水として使われていました。
安倍晴明ゆかりの晴明堂と、重要文化財の白山堂
安倍文殊院は安倍晴明ゆかりのお寺でもあります。境内の高台に、朱塗りの覆屋に守られた晴明堂が建っています。

説明板によれば、当山は安倍一族の寺として古来より安倍晴明信仰の聖地の一つに数えられ、平成16年(2004年)、安倍晴明千回忌を迎えるにあたって二百年振りに晴明堂が再建されたそうです。正面に据えられた黒い玉が「如意宝珠」で、いかなる願望も意のままに成就し、悪を払い災難を防ぐ功徳があると信じられている玉。参拝の方は自分の手で撫でて、魔除け・方位災難除けを祈願します。

晴明堂のそばには「安倍晴明公 天文観測地」の標柱が立っていました。標高103.18m、北緯34度30分11秒、東経135度50分34秒。位置がきっちり記されているのが、いかにも天文観測地という感じです。

石段を下りたところにあるのが白山堂です。国の重要文化財で、説明板によると室町時代に建立された、美しい曲線の唐破風をもった社殿。扁額には「白山権現」とありました。御祭神は菊理媛神(くくりひめのかみ)で、『日本書紀』によると伊弉諾尊と伊弉冉尊の縁を取り持たれた神様。「くくり」が「括る」につながることから、古来より縁結びの神様としても信仰されているそうです。石段の両脇には、北海道や兵庫から奉納された献燈がずらりと並んでいました。
金閣浮御堂と安倍仲麻呂の望郷詩碑

池に張り出すように建っているのが金閣浮御堂(仲麻呂堂)。その手前に立つ石碑が「安倍仲麻呂公望郷詩碑」です。
碑文によると、平城遷都1300年祭を記念して、奈良時代にこの地で生まれた安倍仲麻呂の望郷詩碑を、書家の榊莫山師の揮毫によって浮御堂の前に建立したもの。仲麻呂は奈良時代を代表する文人のひとりで、遣唐留学生として唐に渡り、唐の朝廷で日本人初となる重職を歴任した人物です。刻まれた望郷詩は、仲麻呂が帰郷しようとした折に中国・蘇州の港で詠まれた有名な詩と伝えられています。

朱塗りの橋と欄干が水面に映って、鯉が泳いでいました。
稲荷社・ウォーナー博士報恩供養塔・江戸の道標

境内の山手には稲荷社があって、朱の鳥居が緑のトンネルの中に連なっています。

その奥に、少し毛色の違う塔が立っています。ウォーナー博士報恩供養塔です。

説明板によると、ウォーナー博士は1881年にアメリカのニューイングランドに生まれたハーバード大学出身の東洋芸術史家。第二次世界大戦のさなか、アメリカの政府と軍の上層部に奈良と京都をはじめとする古都の文化的価値を辛抱強く説き、そのおかげで空爆リストから外された——と板には書かれています。
そして塔そのものの由来がまた印象的でした。桜井市の一市民だった中川伊太郎さんが、失業対策事業の日雇い労務者として苦しい生活を送りながら、こつこつ貯めた十万円の全財産を出して昭和34年5月に建立したものだそうです。その美徳をたたえて当時の市長・桜井市仏教協会・当山住職が場所を提供し、以来、毎年6月9日の博士の命日に法要が行われていると記されていました。

もうひとつ、境内には江戸時代の道標「伊勢神宮への大道標」が保存・公開されています。説明板によると、高さ5尺(約150センチ)・幅2尺(60センチ)の花崗岩製で、かつて当山の仁王門があった伊勢街道に南向きに置かれていたもの。正面に「右、はせ(長谷)、いせ(伊勢)、左、たへま(当麻)、大坂(大道)」、左右の面には岡寺・吉野・高野山への道が刻まれています。平成20年9月に神仏霊場が開創され、当山も参画したことを記念して、庭園に保存されていたこの道標を移設して一般公開したものだそうです。
安倍文殊院に行った感想

行くまでは「文殊さんにお参りするお寺」くらいの認識でした。ところが実際に歩いてみると、飛鳥時代の古墳の石室に入れて、平安の陰陽師をまつり、室町の社殿があって、江戸の道標と昭和の供養塔まであるという、時代の層がやたら厚い場所でした。
なかでも西古墳の玄室は、写真で見るより実物のほうが効きます。天井の一枚岩がアーチ状に削り込まれているのを下から見上げると、「これを1300年以上前にやったのか」と素直に感心してしまいました。
境内は坂と石段が多いので、歩きやすい靴のほうが安心です。本堂前にはパンジーの花壇があって、5月の光によく映えていました。

安倍文殊院の基本情報
| 観光地名 | 安倍文殊院(あべもんじゅいん) |
| 住所 | 〒633-0054 奈良県桜井市阿部645 |
| アクセス(電車) | 近鉄・JR「桜井」駅から徒歩約20分 |
| アクセス(車) | 大阪方面から南阪奈道路・最終出口/名古屋方面から名阪国道・針インター/京都方面から京奈和道路・最終出口 |
| 駐車場 | 乗用車200台・大型バス20台(公式サイトに料金の記載はありませんでした) |
| 拝観料 | 本堂 大人700円・小学生500円/金閣浮御堂霊宝館 大人700円・小学生500円 |
| 拝観時間 | 9時〜17時 |
| 電話 | 0744-43-0002 |




































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