秋晴れの気持ちいい一日になりました。あちこちで彼岸花が咲いて、田んぼも黄金色に色づいてきましたね。
2025年10月の考古学サークルならは、大和盆地のど真ん中をまっすぐ南北に貫く古代の官道「下ツ道(しもつみち)」を、田原本町から天理市まで北へたどりました。下ツ道ぞいの大きな常夜灯(石灯籠)と、道に面したお宮の鳥居からスタートです!
歩いていると、電柱にこんな案内が。「下ツ道 ←平城京 藤原京→」。下ツ道は、北の平城京と南の藤原京・飛鳥京をまっすぐ結んだ道なんですね。
道すがらの案内板によると、下ツ道は七世紀の中頃に整備されて、大和盆地のほぼ中央を南北に縦断し、条里制(じょうりせい)の基準線にもなったそうです。田原本町のあたりでは、西代・今里・八尾・新町から田原本を通って、九品寺から八木へと続く歴史の道だったとか。近世には「中街道(なかかいどう)」と呼ばれて、街道として賑わったそうです。
古い町並みが続きます。格子戸のおうちや古い商家が点々と。
新町では「竹村家(たけむらけ)」の案内板がありました。竹村七太郎家は室町時代の末頃から名主をつとめ、江戸時代には庄屋を勤めた家で、奥座敷は昭和23年に重要美術品に指定されたこともあるそうです(現在は無指定)。田原本町の貴重な民家だとか。
次は今日いちばんの目的地、鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)へ向かいます!「縣社 鏡作坐天照御魂神社」と刻まれた立派な社標と、朱色の鳥居が迎えてくれました。
緑の参道を進みます。
こちらは延喜式にも名前が載る古いお宮で、その名のとおり鏡作りの神さまをまつっています。ご祭神は天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)と、鏡を作った祖神といわれる石凝姥命(いしこりどめのみこと)など。四〜五世紀ごろ、このあたりで鏡を作っていた鏡作部(かがみつくりべ)の人たちがおまつりしたと言われているそうです。
御神宝は銅鏡。石凝姥命が、伊勢神宮の御神体になった鏡を鋳造したときの「試鋳(ためし)の鏡」ではないかと伝わるそうです。
境内には「鏡石(かがみいし)」も。看板によると、江戸時代に前の鏡池から出土した石で、古代に粗鏡(あらかがみ)を研いで鏡面に仕上げるとき、この石の凹みに鏡を固定して、二上山のふもとで採れる金剛砂などで磨いた道具ではないか、と考えられているそうです。鏡作りの里ならではですね。
お宮を出て北へ。浄土宗の安養寺(あんようじ)の前を通ります。
しばらく行くと、田原本町が誇る民俗行事「蛇巻き(じゃまき)」に出会えました。まずは鍵(かぎ)地区の「鍵の蛇巻き」。看板によると、毎年六月の第一日曜日(旧暦の端午の節句にちなむ)に、豊作祈願と男の子の成人を祝っておこなわれる節句行事だそうです。
新しい藁(わら)で作った大きな蛇の綱を、男の子たちがかついで村の中を練り歩き、最後に榎(えのき)の木などに巻きつけるんだとか。木の根もとに、その藁の大蛇がとぐろを巻いていました。迫力ありますね!
さらに北の今里(いまざと)地区にも「今里の蛇巻き」が。こちらは木にぐるりと巻きついた蛇。鍵と今里の蛇巻きは、昭和五十八年に「鍵・今里の蛇巻き」として国の重要無形民俗文化財に指定されていると案内されていました。
田んぼのわきには、トトロのかかしがちょこんと。畑をのんびり見守っていました。笑
畦道(あぜみち)は彼岸花が真っ赤に咲きそろって、秋やなあとしみじみ。
道標が「下ツ道 天理市 嘉幡(かばた)」に変わり、いよいよ天理市に入りました。
最後は二階堂(にかいどう)の地蔵堂へ!看板によると、ここは膳夫寺(かしわででら)の跡と伝わる場所で、お堂が二階造りに似ていたことから「二階堂」の名がついたそうです。膳夫寺は、聖徳太子の妃になったと伝わる膳夫姫(かしわでひめ)ゆかりのお寺だとか。
お堂には天正九年(1581年)の銘のある石造の半跏地蔵菩薩像がまつられていて、毎年七月二十三日の地蔵盆には近郷から大勢の参拝でにぎわう、有名なお地蔵さんだそうです。この二階堂のあたりは、下ツ道と、東へ延びて石上神宮につながる布留街道とが交わる、古代からの交通の要衝だったそうです。
今回は約7〜8kmくらいの距離を歩き、下ツ道ぞいの田原本町から天理市まで、鏡作りのお宮や田原本の蛇巻き、二階堂の地蔵堂を回りました。まっすぐに延びる古代の官道を、道ぞいの歴史といっしょにたどれる、のんびり盛りだくさんの一日でした。
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