梅雨の晴れ間、というにはちょっと暑すぎるくらいのお天気でした!2025年7月の考古学サークルならは、奈良盆地の西にひろがる馬見(うまみ)丘陵の古墳群をめぐってきました。スタートは近鉄大阪線の五位堂駅(香芝市)。ここから北へ、馬見丘陵公園をめざして歩きます。
まず向かったのは、三吉石塚(みつよしいしづか)古墳です。奈良県指定の史跡で、後円部に短い前方部がくっついた「帆立貝式(ほたてがいしき)」という形の古墳なんだそうです。
現地の説明板によると、全長は45mほど。すぐ隣にある新木山(にきやま)古墳という全長200mの大きな古墳の、外堤の西側にくっつくように造られているそうです。築かれたのは5世紀後半ごろと考えられているとのこと。
この三吉石塚古墳は、墳丘のまわりに円筒埴輪をずらりと並べ、斜面には葺石(ふきいし)を貼った築造当時の姿に復元されています。埴輪がぐるっと並んだようすは壮観で、当時もこんなふうに白っぽい石と埴輪でおおわれてたのかなあと想像がふくらみます。説明板には、葺石の石は前方部が当麻(たいま)のあたりから、後円部が香芝の二上山(にじょうざん)のふもとから運ばれたものだと書かれていました。
次は讃岐神社(さぬきじんじゃ)へ向かいます!途中、大きなため池のほとりを通っていきます。
讃岐神社は、なんとあの「かぐや姫」ゆかりの神社なんだそうです。説明板によると、竹取物語に出てくる「竹取の翁(おきな)」は讃岐(さぬき)の一族で、讃岐国(今の香川県)から大和のこのあたり――広瀬郡の散吉郷(さぬきごう)――に移り住んだと伝わっているとのこと。この散吉郷が、今の広陵町三吉のあたりにあたるそうで、竹取物語の舞台がこの地だった、ともされているんですね。かぐや姫の求婚者だった五人の貴公子も、実在の人物になぞらえられることがある、なんて話も書かれていました。ロマンがありますね〜。
さて、いよいよ馬見丘陵公園の中へ!公園には古墳のマップも立っていて、園内やまわりにたくさんの古墳が残っているのがよくわかります。
公園のすぐ南にあるのが、馬見古墳群で最大の巣山(すやま)古墳。国の特別史跡です。説明板によると墳丘の全長は220mもあって、4世紀の終わりごろに築かれた前方後円墳なんだそうです。後円部には割石を積み上げた竪穴式石室があって、明治時代に盗掘を受けたときに多くの遺物が出土し、今は宮内庁の書陵部におさめられているとのこと。周濠の北東すみからは、船の部材(喪船(もふね)=準構造船だそうです)まで見つかっているそうで、大型古墳のおまつりを考えるうえで貴重な資料なんだとか。
次は佐味田狐塚(さみたきつねづか)古墳へ!こちらも帆立貝形の前方後円墳で、全長は約78mと復元されています。古墳時代前期のもので、後円部の中央のお墓は盗掘を受けていて、その穴の中から銅鏡のかけらや刀子(とうす)などが出土したと書かれていました。
公園の中には、香芝市の北今市(きたいまいち)というところにあった古墳(北今市1号墳・2号墳)から移された、家形の石棺も展示されています。二上山でとれる凝灰岩(ぎょうかいがん)で作られた立派なもので、蓋石(ふたいし)や側石(がわいし)を組み合わせた「家形石棺」というつくりがよくわかります。説明板によると、石室の中や石棺のまわりからは、玉や銀の耳飾り、鉄の刀や矛、馬具や土器などがたくさん見つかったそうです。
石段をのぼって、いよいよ最後はナガレ山古墳へ!
ナガレ山古墳は国の史跡で、全長103mの前方後円墳。5世紀前半ごろに築かれたと考えられているそうです。実はこの古墳、昭和のはじめに土取りで一部がこわされてしまったのですが、その後に発掘調査と整備が行われて、今のように復元されました。おもしろいのは、東側は円筒埴輪の列と葺石で築造当時の姿に復元して、西側は芝生でおおって今の姿のまま――と、「昔」と「今」を一度に見くらべられるようにしてあるところ。
斜面にずらっと並んだ埴輪の列は、ほんとうに壮観でした!東側のくびれ部では、2列の埴輪列ではさまれた通路のような遺構も見つかっていて、これは今のところ全国でここだけの珍しい例なんだそうです。
園内ではアジサイもきれいに咲いていて、暑い中のちょっとした目の保養になりました。
今回は約6〜7kmくらいの距離を歩き、三吉石塚古墳から讃岐神社、巣山古墳、佐味田狐塚古墳、ナガレ山古墳と、馬見古墳群をぐるっと回りました。復元された埴輪の列を間近で見られて、古墳時代の景色がちょっとだけ想像できた一日でした。ご存じのことやまちがいがあれば、コメントやXのならかんまでご連絡くださいね。
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