石上神宮 | 国宝七支刀を伝える日本最古級の社と参道を歩く神鶏

石上神宮の楼門 天理市

石上神宮の楼門

奈良県天理市の布留町、山の辺の道沿いに石上神宮(いそのかみじんぐう)は鎮座しています。日本最古の神社のひとつに数えられ、古代の軍事氏族・物部氏の総氏神として信仰されてきた古社です。

境内には国宝が三つも伝わっていて、そのひとつが教科書でおなじみの七支刀(しちしとう)。そしてもうひとつ、この神社を有名にしているのが、境内を自由に歩き回っているニワトリたちです。

私が訪ねたのは2015年9月22日と2021年9月5日の二回で、この記事はその二回で撮った写真をまとめたものです。

石上神宮について

大鳥居をくぐると、両側から木々がおおいかぶさるような参道がまっすぐ続きます。9月に行ったときはまだ緑が濃くて、砂利を踏む音がやけに響きました。

石上神宮の大鳥居と参道

参道を進んで石段を上がると、正面に楼門が見えてきます。手前の広場では、放し飼いのニワトリが何食わぬ顔で歩いていました。

参道から見た石上神宮の楼門とニワトリ

石段の手前には「ご参拝の受付は御門内にて致しております」という案内板が立っていて、御祈祷・御守・御朱印・みくじはすべて楼門をくぐった先で受け付けているそうです。

石上神宮の社務所

ご祭神と禁足地

公式サイトによると、主祭神は三柱です。

布都御魂大神
(ふつのみたまのおおかみ)
国土平定に偉功をたてられた神剣「韴霊(ふつのみたま)」に宿る御霊威を称えて
布留御魂大神
(ふるのみたまのおおかみ)
天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)に宿る御霊威を称えて
布都斯魂大神
(ふつしみたまのおおかみ)
素戔嗚尊が八岐大蛇を退治されるのに用いられた天十握剣に宿る御霊威を称えて

三柱とも「剣」や「宝」に宿る御霊威をお祀りしている、というのが石上神宮らしいところです。配祀神には宇摩志麻治命・五十瓊敷命・市川臣命とともに、白河天皇の名も並んでいます。

そしてこの神社を語るうえで外せないのが禁足地です。東西44.5メートル、南北29.5メートル、面積約1300平方メートルのこの一画は、境内でもっとも神聖な霊域とされてきました。

明治7年8月、当時の大宮司・菅政友が官許を得て調査したところ、多くの玉類・剣・矛などが出土し、神剣「韴霊」が姿を現したと伝わります。その韴霊を奉安するために、明治43年から大正2年にかけて本殿が建てられました。

つまりこの神社には長いあいだ本殿がなく、禁足地そのものが信仰の中心だった、ということになります。

石上神宮の回廊

国宝 七支刀の解説板を読む

回廊のガラスケースに、「國寶 七支刀解説」と題した手書きの板が展示されていました。文字を追ってみると、かなり踏み込んだことが書いてあります。

国宝七支刀の解説板

  • 七支刀は石上神宮の神庫に伝世した上古の遺品である
  • 鍛鉄製で、剣身の左右に三つの枝刃を互い違いに造り出した特異な姿を持つ
  • 現在は下方から約三分の一のところで折損し、鉄錆が全体を覆っている
  • 剣身の棟には、表裏あわせて六十余字の銘文が金象嵌で表されている
  • 銘文の「泰□四年」は東晋の年号の仮借とみられ、その四年は西紀369年に該当する
  • したがってこの七支刀は、『日本書紀』神功皇后五十二年条に百済から贈られたと記される「七枝刀(ななつさやのたち)」に当たるものと推定される

七支刀の姿を写した展示

ガラスケースには銘文の拓本の写真と、七支刀そのものの姿を写した図も並んでいました。実物を見ることはできませんが、この解説板だけでも十分に見応えがあります。

七支刀解説板の続き

石上神宮に行った感想

いちばん見上げてしまったのは楼門です。重要文化財で、鎌倉時代末期の文保2年(1318年)の建立。もとは鐘楼門で上層に鐘が吊るされていたそうですが、明治初年の神仏分離令で取り外され売却された、と公式サイトにあります。組物が幾重にも重なった軒下は、下から見ると本当に迫力があります。

石上神宮の楼門を見上げる

二層の正面には「萬古猶新」と読める扁額が掛かっていました。明治・大正の元老、山縣有朋の筆によるものだそうです。

楼門の扁額「萬古猶新」

楼門をくぐると、正面が拝殿です。こちらは国宝で、白河天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝わります。檜皮葺きの大屋根がゆるやかに反り上がり、軒下には吊り灯籠がずらりと並んでいました。

国宝の石上神宮拝殿

楼門と拝殿の屋根

意外に足が止まったのが回廊です。木の櫃がふたつ置いてあって、片方には「鎧櫃 一合」の札が立っていました。札によれば南北朝時代・応安2年(1369年)のもので、マツ材製の重厚な作り。蓋の裏に「大和国山辺郡、布留大明神、御鎧唐櫃也、応安二年己酉、十二月廿五日」の墨書銘があり、南北朝時代の鎧櫃の基準作例として貴重なのだそうです。

回廊に置かれた鎧櫃

もうひとつの櫃には、右書きで「永久寺」と読める字が彫られていました。ただ、こちらには説明札が見当たらなかったので、何に使われたものかまでは分かりませんでした。ご存じの方がいらっしゃったら教えてください。

「永久寺」と彫られた木の櫃

石上神宮の基本情報

観光地名石上神宮(いそのかみじんぐう)
住所〒632-0014 奈良県天理市布留町384
アクセス(電車)近鉄・JR「天理」駅から徒歩約30分/タクシーで約10分(約1,500円)
アクセス(車)名阪国道「天理東インター」から約5分/西名阪自動車道「天理インター」から約15分
駐車場無料駐車場4カ所(第1駐車場23台・第2駐車場50台・第3駐車場36台・第4駐車場50台)
拝観料公式サイトに拝観料の記載はありませんでした
参拝時間およそ午前5時30分〜午後5時30分に拝殿正面で参拝できます(開門・閉門の時刻は季節により変わります)
電話0743-62-0900

摂社 出雲建雄神社と内山永久寺

拝殿から東へ、石段を上がったところに摂社の出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)があります。石段の下に立つ由緒板には、こう書かれていました。

摂社出雲建雄神社の由緒板

摂社 出雲建雄神社 式内社
御祭神 出雲建雄神
由緒 出雲建雄神は草薙神剣の御霊坐す。今去る千三百余年前、天武天皇朱鳥元年、布留川上の日ノ谷に瑞雲立ち、上に神剣光を放ち現れて「今此の地に天降り諸々の氏人を守らむ」と宣り給いて、即ち鎮座し給う

草薙剣の御霊が祀られている、という由緒です。

この社の拝殿がまた見どころで、こちらも国宝。もとは内山永久寺の鎮守だった住吉社の拝殿で、大正3年に現在地へ移されました。はじめの建立は保延3年(1137年)で、13〜14世紀の2回の改築を経て今の姿になったと考えられています。

国宝の出雲建雄神社拝殿

内山永久寺は鳥羽天皇の永久年間(1113〜18年)に創建された大寺院でしたが、神仏分離令によって明治9年に廃絶しました。その大寺院の建物としてまとまって残っているのが、この拝殿というわけです。

中央に通り抜けの土間がある「割拝殿(わりはいでん)」で、写真のとおり真ん中がアーチ状に抜けています。朱塗りの拝殿や楼門とはまったく雰囲気が違って、木の色そのままの静かな建物でした。

出雲建雄神社拝殿の中央の通路

出雲建雄神社拝殿を横から見る

回廊で見た「永久寺」の櫃も、この寺と関わりがあるのかもしれません。

境内を歩くニワトリ

石上神宮といえば、この子たちを挙げる人も多いはずです。参道にも境内にも、ニワトリが放し飼いにされています。

石上神宮の境内を歩く東天紅

公式サイトによると、今から40年ほど前に奉納されたのが始まりで、現在は約30羽。長鳴鶏(ながなきどり)の一種で高知県産・天然記念物の東天紅(とうてんこう)や、同じく天然記念物の烏骨鶏(うこっけい)などが棲んでいるそうです。

玉垣のそばに集まるニワトリ

驚いたのは夜の過ごし方で、夕方に暗くなる前、低い木々から順々に高い枝へ飛び上がって、そこで一夜を過ごすのだとか。高く飛び上がれない烏骨鶏やレグホンは、専用の鶏舎で夜を過ごすそうです。

東天紅の雄鶏

私が行ったのはどちらも昼間だったので、苔むした木の根元や玉垣のあたりを堂々と歩き回っている姿を見ました。人を怖がる様子がまったくなくて、こちらが道を譲る側になります。

苔むした根元を歩くニワトリ

国宝の建物と古代の刀、そして足元を歩くニワトリ。この取り合わせが石上神宮のおもしろさだと思います。山の辺の道を歩くときは、ぜひ時間をとって寄ってみてください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました