考古学サークルなら2026年1月〜山の辺の道(奈良道)と円照寺を巡る〜

奈良市

あけましておめでとうございます!2026年最初の考古学サークルならは、山の辺の道の北のほう、「奈良道」とも呼ばれるあたりを歩いてきました。

まずは近鉄奈良駅の東向商店街に集合して、しっかり腹ごしらえ。お正月の松の内がまだ残る奈良のまちなかから、少し東へ移動して、いよいよ山の辺の道の入り口へ向かいます。

田んぼや竹やぶのあいだの細い道を、みんなでのんびり歩いていきます。冬枯れの景色ですが、この日はときどき日も差して、そんなに寒くなかったのが助かりました。

歩いていくと、「横井廃寺跡(藤原寺跡)」の説明板が立っていました。

看板によると、このあたりは字(あざ)に「ドドコロ(堂所)」「センボウ(千坊)」「大門」といった地名が残っていて、古くからお寺の跡地とされてきた場所だそうです。明治二十八年の調査で金堂跡が見つかり、金銅観音菩薩像や、重要文化財になっている蓬莱山双鸞鏡、和同開珎・万年通宝といった古銭、刀剣や古瓦など、飛鳥時代から奈良時代にかけての遺物がたくさん出土したと書かれていました。

創建ははっきりしないものの、藤原鎌足の従弟にあたる中臣国足が建てた「中臣寺(藤原寺)」ではないか、という説もあるそうです。西向きの四天王寺式の伽藍配置で、塔跡・金堂跡・講堂跡と並んでいたと言われています。今はすっかり農地になっていて、言われてみないと分からないですが、足元の下にそんな歴史が眠っていると思うと不思議な気持ちになりますね。

次は白山比咩神社へ向かいます!道のあちこちに「山の辺の道」「白毫寺」「円照寺」と書かれた道標が立っていて、迷わず歩けるのがありがたいところです。

途中、ぐっと視界がひらけて、奈良盆地が一望できる場所もありました。冬の澄んだ空気で、遠くまでよく見えましたよ。

藤原町の白山比咩(しらやまひめ)神社に到着です。御祭神は菊理比咩命(くくりひめのみこと)。総本社は石川県の加賀一宮・白山比咩神社で、白山権現の信仰が全国に広まっているそうです。

こちらの石灯籠には元禄四年(一六九一年)の銘のものもあるそうで、なかなか古いんですね。本殿はお正月らしく門松や葉牡丹で飾られていて、清々しい雰囲気でした。

次は嶋田神社へ!こちらは延喜式にも載る古い神社で、御祭神は神武天皇の皇子・神八井耳命(かむやいみみのみこと)と、崇道天皇です。

じつはこの本殿、もとは春日大社の本社本殿なんだそうです。春日大社では幕末まで二十年ごとに本殿を建て替えていて、払い下げられた古い本殿が各地に残っているとのこと。この嶋田神社の本殿も、宝永六年(一七〇九年)に春日大社の第三殿として建てられたもので、部材から「三之御殿」の墨書が見つかっているそうです。奈良市の指定文化財になっています。

嶋田神社のすぐそばには、崇道天皇八嶋陵があります。崇道天皇というのは、桓武天皇の弟の早良親王のこと。藤原種継暗殺事件に連座して淡路へ流される途中、無実を訴えて亡くなり、のちに天皇の号を追贈された悲劇の人ですね。

宮内庁が管理する静かな陵で、白い砂利のまっすぐな参道が印象的でした。

さらに南へ歩いていくと、大きな岩がごろんと置かれた場所や、ため池のほとりに出ました。池のそばには、万葉仮名で歌を刻んだ古い木の板も立っていましたよ。横井廃寺の看板にも「三笠山神のちかひにたつ鹿の声かすかなるふちはらの里」という古歌が紹介されていましたが、このあたりは昔から歌に詠まれてきた里なんですね。

次は円照寺の方へ!山道に入ると、石仏がずらりと並んでいたり、「不許酒肉五辛入場」と刻まれたお寺の結界石が立っていたりと、雰囲気がぐっと変わります。

途中には「〇〇山大権現」と刻まれた石碑のお社や、朱色のお稲荷さんもありました。

そして、山村御殿とも呼ばれる円照寺(圓照寺)の門跡へ。円照寺は、後水尾天皇の皇女・文智女王が開いたと伝わる尼寺で、中宮寺・法華寺と並ぶ大和三門跡のひとつ。いけばな山村御流の家元としても知られています。ふだんは非公開なので、私たちも門前まで。三島由紀夫の『豊饒の海』に出てくる「月修寺」のモデルになったお寺とも言われていますね。

最後は御霊神社・八幡神社へ!こちらの御祭神も、崇道天皇(早良親王)と、応神天皇(誉田別尊・大鞆和気命)です。境内には狛犬や、なんとカエルの石像もいて、なかなか楽しい神社でした。

今回は約6〜7kmくらいの距離を歩き、横井廃寺跡・白山比咩神社・嶋田神社・崇道天皇八嶋陵・円照寺・御霊神社を回りました。お正月の飾りが残る神社をいくつも巡れて、なんだか一年のいいスタートになった気がします。

石仏のお寺やお社の名前など、はっきり分からなかったところもあります。ご存じの方がおられれば、コメントやXのならかんまでご連絡くださいね。

コメント