
奈良公園のにぎわいから少し高くなった台地の上に、興福寺(こうふくじ)は広い境内を開いています。近鉄奈良駅から歩いてすぐ、猿沢池を見下ろす高台に、国宝の五重塔や東金堂、八角形のお堂が並ぶ姿は、まさに「古都・奈良」を象徴する景色です。
拝観券がなくても境内は自由に歩けるので、鹿が行き交う参道をぶらぶらと進むと、次々にお堂が現れてどこを見ても絵になります。興福寺は「古都奈良の文化財」のひとつとして世界遺産に登録されている、奈良を代表するお寺です。
興福寺について
興福寺は、奈良市の中心部・登大路町にある法相宗(ほっそうしゅう)の大本山です。五重塔をはじめ東金堂、南円堂、北円堂、そして平成に再建された中金堂など、見どころのお堂が広い境内に点在しています。
境内の案内板によると、創建当時の伽藍は南に南大門が建ち、北に中門・中金堂・講堂が並び、その東側には南から五重塔・東金堂が、西側には南から南円堂・西金堂・北円堂が立ち並んでいたそうです。今もその面影をたどりながら歩けるのがうれしいところです。

西側に建つのが、朱色の鮮やかな八角形のお堂・南円堂(なんえんどう)です。入口の石標と案内板には「西国三十三所第九番札所」とあり、観音巡礼の参拝者が今も絶えない場所です。お堂の前には立派な銅燈籠が据えられていて、八角形の屋根とのバランスがとても美しく感じました。


興福寺の由緒・歴史
境内の説明板によれば、興福寺の起源は天智天皇8年(669年)にさかのぼります。中臣(藤原)鎌足の夫人・鏡女王(かがみのおおきみ)が、夫・鎌足の病気平癒を願って山背国(現在の京都市山科区)に建てた山階寺(やましなでら)がはじまりだと記されています。
その後、お寺は飛鳥に移されて厩坂寺(うまやさかでら)となり、和銅3年(710年)の平城京遷都にあわせて、鎌足の子・藤原不比等(ふじわらのふひと)が左京三条七坊の地に移し、「興福寺」と称したと伝えられています。以後、藤原氏の氏寺として大きく栄え、宗教界だけでなく政治・経済・文化にも影響を及ぼしたと案内板は伝えています。長い歴史のなかで、度重なる罹災と復興をくり返して今に至っているそうです。
国宝の五重塔と伽藍をめぐった感想
やはり興福寺といえば、天に向かってすっと立つ五重塔です。説明板には、天平2年(730年)に光明皇后が創建し、現在の塔は応永33年(1426年)に再建されたもの(室町時代)で、高さは50.1メートル、現存する塔としては国内で二番目に高いと書かれていました。初層の須弥壇には、東に薬師三尊像、南に釈迦三尊像、西に阿弥陀三尊像、北に弥勒三尊像が安置されているそうです。近くで見上げると、どっしりとした軒の重なりに圧倒されます。

五重塔の北どなりに建つのが、国宝・東金堂(とうこんどう)です。案内板に「国宝 東金堂」と掲げられていて、五重塔と並ぶ横からの眺めは、何枚でも写真を撮りたくなる構図でした。

そして、中門の北にそびえる朱色のお堂が中金堂(ちゅうこんどう)です。立札には「中金堂 平成三十年十月再建」とありました。長らく仮堂のままだったお堂が平成30年(2018年)によみがえったもので、青空に映える朱と白のコントラストがとても鮮やかでした。


興福寺の基本情報
| 観光地名 | 興福寺(こうふくじ) |
| 住所 | 奈良県奈良市登大路町48 |
| アクセス(電車) | 近鉄奈良駅から徒歩約5分/JR奈良駅から徒歩約15〜20分 |
| アクセス(車) | 周辺の有料駐車場を利用(詳しくは公式サイトで要確認) |
| 駐車場 | 境内周辺に有料駐車場あり |
| 拝観料 | 境内は自由。国宝館・東金堂・中金堂などの拝観は有料(最新の料金は公式サイトで要確認) |
| 拝観時間 | 9:00〜17:00(受付は16:45まで) |
五重塔は「令和の大修理」の最中です
興福寺の五重塔は、現在約120年ぶりとなる大規模な保存修理(令和の大修理)が進められています。奈良県の資料などによると、傷んだ木部や壁の修理、屋根瓦の葺き替えなどを行い、完了は令和13年(2031年)3月を目標としているそうです。工事の間、塔の大部分は素屋根(すやね)とよばれる仮設の覆いに包まれています。
この記事の写真は修理に入る前のものですので、しばらくは今の姿と見え方が異なります。修理が終わってすっきりとした五重塔に再会できる日を、私も楽しみにしています。

※この記事の写真は2018年5月と2021年12月に撮影したものです。現在の様子とは異なる場合があります(五重塔は保存修理のため素屋根で覆われています)。















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