三寒四温という言葉のとおり、少しずつ春めいてきた3月。2025年3月の考古学サークルならは、桜井市の纒向(まきむく)遺跡を歩きました!スタートはJRの巻向駅からです。


駅のすぐそばに「ようこそ纒向遺跡へ」の看板が立っていました。纒向遺跡は、3世紀ごろにあらわれた大きなムラの跡で、ヤマト王権のはじまりの地ともいわれる場所なんだそうです。田んぼや住宅地のなかに古墳や遺跡が点々とあって、ぜんぶ歩いてまわれるのがおもしろいところですね。

まず向かったのは東田大塚(ひがいだおおつか)古墳です。看板によると、墳丘全長は約120mにのびる前方後円墳で、纒向遺跡のなかでは箸墓古墳に次ぐ大きさをもっているそうです。埋葬施設の中身はよく分かっていないそうですが、箸墓古墳とほぼ同じ3世紀後半ごろに造られたと考えられていて、出現期の前方後円墳の形を知ることができる貴重な古墳なんだとか。

次は矢塚(やづか)古墳へ向かいます!全長93m以上の前方後円形の墳丘をもつ大きなお墓で、発掘調査では後円部が南北約56m、東西約64mと、少し東西に長い形だと分かったそうです。後円部の径と前方部の長さの比が2対1になる「纒向型前方後円墳」の一例で、3世紀中頃、まだ形の決まった前方後円墳があらわれる前の築造と考えられているそうですよ。


ため池のわきを通って、次は勝山(かつやま)古墳へ!こちらも3世紀代に造られたとみられる大型のお墓で、前方後円形の墳丘は全長約115m。まわりをめぐる周濠状の遺構からは土器や木製品がたくさん出土していて、なかには建築部材やU字形の木製品など、ちょっと変わったものも含まれていたそうです。古墳があらわれたころのお墓のおまつりを知るうえで、大事な手がかりになっているんだとか。


そして纒向石塚(まきむくいしづか)古墳です。全長約96mの前方後円形で、後円部と前方部の比が2対1になる「纒向型前方後円墳」の典型的な例とされているそうです。おもしろいのは、のちの大きな古墳に見られる葺石や埴輪がここには無いこと。そのため、古墳時代のはじめの「古墳」とする考え方と、弥生時代の終わりごろの「墳丘墓」とする考え方があって、古墳時代のはじまりを考えるうえで注目される遺跡なんだそうです。


最後は纒向遺跡の辻地区へ!広い平地に柱の跡がずらりと並んでいました。ここでは大型の建物の跡がいくつも見つかっていて、その一つが「建物B」と呼ばれているそうです。桜井市の解説ポイントには「ヤマト王権はじまりの地といわれるワケは?」とあって、ここが特別な場所だったことをうかがわせますね。「史跡纒向遺跡」の石碑も立っていました。



道すがら、梅がちょうど見ごろでした。春の色に少しほっとしますね。

ここからは北へ歩いて、天理市の柳本にある黒塚(くろづか)古墳へ向かいます!池ごしに見える大きな墳丘が黒塚古墳です。国の史跡で、古墳時代前期のはじめ、3世紀後半ごろに造られた全長約130mの前方後円墳なんだそうです。後円部は径約72m・高さ約11mもあるとのことで、近くで見るとやっぱり大きいですね。



黒塚古墳が全国的に有名になったのは、平成9〜10年の発掘調査での大発見でした。後円部のほぼ中央から長大な竪穴式石室が見つかり、長さは約8.3mもあったそうです。中には長さ6.2m・直径1mを超えるクワの巨木で作った割竹形木棺が置かれていたそうですが、木は腐って残っていなかったとのこと。そしてなんと、三角縁神獣鏡が33面も出土しました。一つの古墳からの出土数としては全国でいちばん多く、京都府の椿井大塚山古墳の32面以上と並ぶ突出した数なんだそうです。棺の中の頭のあたりからは、直径13.5cmの小さな画文帯神獣鏡が1面だけ見つかっていて、棺の外にあった三角縁神獣鏡とは違う扱いをされていたのでは、と考えられているそうですよ。

すぐ東どなりの黒塚古墳展示館(入場無料)ものぞいてきました。発掘当時の石室が実物大で再現されていて、鏡がどんなふうに並べられていたのかがよく分かります。三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡の精巧な複製も展示されていて、じっくり見られました。


今回は約4〜5kmくらいの距離を歩き、纒向遺跡の古墳群から辻地区の建物跡、そして黒塚古墳と、ヤマト王権のはじまりを感じる一日を回りました。





























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