朝晩はだいぶ涼しくなって、木々が少しずつ色づいてきましたね。この日はよう晴れて、古墳歩きにはもってこいのお天気でした!
2024年11月の考古学サークルならは、いつもの奈良をとびだして、大阪府の藤井寺(ふじいでら)市と羽曳野(はびきの)市にまたがる古市(ふるいち)古墳群を歩きました。百舌鳥(もず)・古市古墳群として世界遺産に登録されている、巨大な前方後円墳がずらりとならぶエリアです。近鉄の二上山駅に集合して、電車で藤井寺市の土師ノ里(はじのさと)駅へ移動。ここからスタートです!

駅を出てすぐ、きれいに整えられた小さな丘が目に入りました。鍋塚(なべづか)古墳です。

石段をのぼって墳頂まで上がれるようになっていて、「史跡」と刻まれた古い標石も立っていました。まわりが住宅地なので、こんなに身近に古墳があるんやなあと、さっそくびっくり。
この一帯には、宮内庁が治定している大きな天皇陵がいくつもならんでいます。まずお参りしたのは、応神天皇の皇后・仲姫命(なかつひめのみこと)の陵とされる、仲津山(なかつやま)古墳の拝所です。

すぐ近くには、允恭(いんぎょう)天皇陵(市野山古墳)もありました。案内板によると、こちらは古墳時代中期後葉の前方後円墳で、墳丘の全長は230mもあるそうです。墳丘は三段に築かれ、両側のくびれ部に造出しがあって、あとで出てくる墓山古墳とよく似た形をしていることから、相似形に設計された可能性が高いんやとか。築いたときは二重の濠がめぐっていて、濠からは円筒埴輪や形象埴輪がたくさん見つかっているそうです。
スタート地点のそばには、世界遺産に登録されたことを知らせる横断幕も掲げられていました。

次は、土師ノ里八幡神社へ向かいます!

このあたりは「土師(はじ)」という地名が残っています。土師氏は埴輪づくりや古墳の造営にかかわった氏族と言われていて、まさに古墳群の足もとにふさわしい名前やなあと感じました。
次は、この日いちばんの紅葉スポット、古室山(こむろやま)古墳へ!

古室山古墳は、古墳時代中期前葉につくられた全長およそ150mの前方後円墳で、昭和31年に国の史跡に指定されています。ここは墳丘の上まで自由にのぼれるように整備されていて、桜や紅葉の木がたくさん植わっているんです。真っ赤に色づいたもみじと、どこまでも青い空のコントラストがほんまにきれいで、みんなで何枚も写真を撮りました。大きな古墳の上に立って、まわりの古墳群を見わたせるのも気持ちよかったです。
古室山をおりて、しばらく住宅地を抜けていくと、こんどはとてつもなく大きな森が見えてきました。応神(おうじん)天皇陵、誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳です!

「応神橋」という橋をわたって近づいていくと、濠のむこうに森のような墳丘がどーんと広がっていて、もう全体が入りきりません。案内板によると、応神天皇陵古墳は5世紀前半に築かれた前方後円墳で、墳丘の全長はなんと約425m。後円部の直径が約250m、前方部の幅が約300m、高さは後円部で約36mもあるそうです。百舌鳥の仁徳天皇陵(大山古墳)に次いで全国2位の大きさで、墳丘の体積はこれが日本最大とも言われているとか。あまりの大きさに、ただただ圧倒されました。
次は、その応神天皇陵のすぐ南に鎮座する誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)へ向かいます!

誉田八幡宮は、応神天皇をおまつりするお宮で、欽明天皇の命によって6世紀後半に創建されたと伝わる、日本最古の八幡宮とも言われています。応神天皇の諡(おくりな)が誉田天皇だったことから、この社名になったそうです。のちに源氏一族の氏神として深くうやまわれ、武士たちの信仰を集めてきたとのこと。
じつはこのあたりは、戦乱の舞台にもなった場所でした。境内の近くには「誉田林古戦場址(こんだばやしこせんじょうし)」の碑と案内板が立っていました。

案内板によると、ここは南北朝から室町・戦国にかけて戦略上の要地だったため、再三にわたって古戦場になったそうです。南北朝初期には北朝方の細川兄弟と南朝方の楠木正行(まさつら)が戦い、室町中期の享徳年間には畠山政長と義就(よしなり)が誉田合戦をくり広げた。さらに大坂夏の陣では、大坂方の武将・薄田隼人正(すすきだはやとのしょう)がこの境内に大陣を置き、道明寺あたりで討死したと伝わるそうです。古墳の森が、そのまま歴史の舞台になってきたんやなあとしみじみ。
次は、誉田白鳥埴輪製作遺跡(こんだしらとりはにわせいさくいせき)へ!

ここは、古市古墳群の大型古墳にならべる埴輪を焼いていた窯の跡で、国の史跡に指定されています。案内板によると、見つかった10基の窯のうち、東群の2・3・4号窯が復元されているとのこと。地面に、埴輪を焼いた窯の断面が再現されていて、こんなふうにして膨大な数の埴輪がつくられたんやなあと、作り手の仕事を身近に感じられる場所でした。
そのすぐそばの展示施設で、このあたりの古墳から出土した埴輪たちにも会えました。


鳥の形の埴輪や、りりしいお顔の人物埴輪、家の形をした埴輪など、ほんまにいろんな種類があって見ごたえたっぷり。土師氏の里で焼かれた埴輪が、こうして今も残っているのを間近で見られて感激しました。
次は、墓山(はかやま)古墳とその陪塚(ばいちょう)へ向かいます!

墓山古墳は5世紀前半の前方後円墳で、周囲に4つの陪塚をしたがえているそうです。すぐそばの向墓山(むこうはかやま)古墳は、一辺68m・高さ10mの方墳で、斜面が堅固な葺石でおおわれ、原形がよく保たれているとのこと。案内板によると、墓山古墳の外堤と接していて、墓山古墳の被葬者に従った有力者を葬った陪塚ではないかと考えられているそうです。大きな王の墓のまわりに、お付きの人たちの墓がならぶ——古墳群の成り立ちがよくわかる並びでした。
次は、ぐっと時代をさかのぼって、翠鳥園(すいちょうえん)遺跡公園へ!

ここは古墳よりもずっと古い、およそ2万年前の旧石器時代の遺跡で、「旧石器人のアトリエ」とも呼ばれています。石器づくりの跡が見つかっていて、国内最大規模の旧石器時代の遺跡なんやそうです。サヌカイトという石を割って石器をつくっていた様子が、パネルでくわしく紹介されていました。このサヌカイト、案内板によると、朝のスタート地点だった二上山のあたりが近畿地方でいちばんの産地なんやそうです。今日通ってきた山と、2万年前の石器がつながっているのかと思うと、なんだかうれしくなりました。古墳の時代のさらに何倍も昔から、ここで人が暮らしていたんやと思うと、ちょっと気が遠くなりますね。
次は、古市大溝(ふるいちおおみぞ)へ!

住宅地のなかに、まっすぐ切り通しのように延びる地形がありました。案内板によると、ここは古市大溝と呼ばれる古代の大規模な水路の跡で、総延長6kmにも及ぶと推定されているそうです。規模は幅20m、深さ4.4mに達するところもあって、人力だけで台地の固い地盤を掘り開いた大工事だったとか。5世紀末から6世紀に造られた古墳の一部を壊して掘られていることも確認されていて、灌漑用水路、あるいは物資を運ぶ運河だったのではと考えられているそうです。
次は、峯ヶ塚(みねがづか)古墳へ向かいます!

峯ヶ塚古墳は5世紀末に築かれた前方後円墳で、墳丘の長さは約96m。案内板によると、後円部に石室が見つかって、たくさんの副葬品が出てきたそうです。とくに大刀が15振り以上と、魚佩(ぎょはい)と呼ばれる魚の形をした飾り金具が出土したとのこと。濠と堤がめぐっていて、さらに外側に二重目の濠まであったことがわかっているそうです。
次は、横穴式ならぬ「横口式石槨(よこぐちしきせっかく)」で知られる小口山(こぐちやま)古墳へ!

小口山古墳は7世紀後半に造られた円墳で、石室のなかに入れるようになっていました。案内板によると、横口式石槨という、古墳時代の終わりごろにあらわれる新しいタイプの石室なんやそうです。落ち葉の積もった石室のなかはひんやりとして、磨かれた石がぴったりと組まれていました。応神天皇陵のような巨大な古墳とくらべると、ずいぶん小ぶりで時代も新しくて、古墳の移り変わりを一度に見られるのが古市古墳群のおもしろいところやなあと思います。
石室を出て、「竹内街道(たけのうちかいどう)」の道しるべを見つけました。

足もとのマンホールにも「竹内街道」の文字。推古天皇の時代に、わが国最古の官道(国道)として整備されたとも言われる道で、飛鳥時代から東西交通の大動脈だったそうです。古い道をたどりながら歩けるのも、うれしいところ。
そして最後は、白鳥陵(はくちょうりょう)古墳へ!

軽里大塚(かるさとおおつか)古墳、前の山古墳とも呼ばれる、墳丘の長さ190mの前方後円墳です。夕方の光のなか、濠の水面に森が鏡のようにうつって、ため息が出るほどきれいでした。案内板によると、古墳時代後期(約1500年前)の築造とみられ、宮内庁は景行天皇の皇子・日本武尊(やまとたけるのみこと)の陵墓として治定しているそうです。記紀には、日本武尊が各地を遠征したのち、伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなり、白鳥に姿を変えて大和から河内の古市へ飛んできて、埴生(はぶ)の丘に羽を曳くように飛び去ったという白鳥伝説が記されているとのこと。この伝説が「羽曳野」という地名の由来になっているそうです。なんともロマンのあるお話ですね。
今回は約7〜8kmくらいの距離を歩き、鍋塚古墳から古室山古墳、応神天皇陵、誉田八幡宮をへて、墓山・向墓山古墳、翠鳥園遺跡、峯ヶ塚古墳、小口山古墳、そして白鳥陵古墳まで、古市古墳群をたっぷり巡りました。巨大な大王の墓から、埴輪の窯、2万年前の旧石器の遺跡、終末期の小さな石室まで、長い長い時間の積み重なりを一日で歩けた、ぜいたくな一日でした。




























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