6月に入って、田んぼには水が張られ、早苗が青々と並びはじめました。梅雨入り前のよく晴れた一日、2025年6月の考古学サークルならは、山の辺の道の柳本から三輪へと南へ下って、古墳と神社をめぐってきました!
スタートはJR柳本駅。ここ柳本は、江戸時代には織田信長の弟・有楽斎の五男、織田尚長が入って一万石をおさめた柳本藩の城下町だったそうです。説明板によると、いまの柳本小学校のあたりに藩邸(陣屋)が建っていたとのこと。駅前からもう歴史がはじまっている感じでした。


まず向かったのは、柳本の総鎮守・伊射奈岐神社です。ご祭神は伊奘諾命・伊奘冉命で、あわせて菅原道真公もお祀りされていて「柳本天神」とも呼ばれているそうです。境内には天神さんらしい撫で牛がいました。崇神天皇の御代に創祀されたと伝わる延喜式内社で、江戸時代には柳本藩の織田氏の庇護を受けた「柳本藩社」でもあったとか。


朱色の鳥居や狛犬もりっぱで、木立に囲まれた静かなお社でした。すぐそばには大和天神山古墳もあるそうで、道標には「卑弥呼の里」の文字。このあたり一帯が古墳だらけなんやなあと実感します。

次は崇神天皇陵へ向かいます! 正式には「崇神天皇 山辺道勾岡上陵」、考古学のほうでは行燈山古墳と呼ばれる、全長242mの前方後円墳です。第10代崇神天皇の御陵として宮内庁が管理しています。龍王山の西のふもとの傾斜地に築かれているため、東と西で高低差があって、周濠が渡土堤で三か所に区切られているのが特徴だと説明板にありました。水をたたえた周濠ごしに見る墳丘は、ほんとうに大きくて見ごたえがありました。



次は櫛山古墳へ! 崇神陵のすぐ東どなりにある全長155mの古墳で、ふつうの前方後円墳に短い方形部(造り出し)がくっついたような、めずらしい形をしていることから「双方中円墳」とも呼ばれているそうです。後円部の頂上からは竪穴式石室と石棺の一部が見つかっていて、腕輪形石製品や合子・盤・壺形の滑石製品、鉄製品などが出土したとのこと。築かれたのは4世紀末で、柳本古墳群のなかでは比較的新しいほうなんだそうです。いまは墳丘に登れるようになっていて、落ち葉をふみながら墳頂まで歩きました。



ここからは山の辺の道を南へ、桜井市のほうへ下っていきます。青々とした田んぼや、水をはった棚田のむこうに大和平野が見わたせて、それはそれは気持ちのいい道でした。

しばらく歩いて、次は珠城山古墳群へ! 桜井市にある国指定史跡で、6世紀後半につくられた前方後円墳が3基ならんでいます。馬具や大刀などのりっぱな副葬品が出土していて、この地域をおさめた一族が代々築いたお墓ではないかと言われているそうです。いまは1号墳の横穴式石室のなかに入ることができて、みんなで身をかがめて奥までもぐってきました。真っ暗ななかを照らすと、大きな石を組んだ玄室があらわれて、ちょっとした探検気分でした!



石室の壁は、大きな石がていねいに積み上げられていて、1500年ほど前につくられたものとは思えないほどでした。

石室を出てすぐのところには、「垂仁天皇纒向珠城宮跡」と刻まれた石碑が立っていました。第11代垂仁天皇の宮があったと伝わる場所で、「珠城山」の名前もこの珠城宮にちなむそうです。

最後は大神神社へ! 三輪山そのものをご神体とする、日本でも最も古いお社のひとつと言われています。大きな二の鳥居をくぐると、参道には全国の蔵元から奉納された菰樽がずらり。三輪はお酒の神様としても知られていますね。長い一日の締めくくりに、ゆっくりお参りしてきました。


このあとはJR三輪駅からそれぞれ帰路につきました。

今回は約8〜9kmくらいの距離を歩き、柳本から三輪まで、山の辺の道ぞいの古墳と神社をぐるりと回りました。次回もどうぞお楽しみに!


























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